person

坂本 三郎さん(有高17回)

三田太鼓を打ち続け 来年2月で25周年

事務局まで足を運んで頂き、色々お話を伺いました。

2、3年は長沢先生(英語)が担任、バレー部で活躍されたそうです。もともと運動がお好きで、特に足が速かったことから校内陸上競技大会では常に1位、また、球技大会・マラソン大会でも活躍され注目を浴びられたそうです。

更に、懐かしい思い出話も聞かせて頂きました。修学旅行の半月前に盲腸の手術を受け、しかも腹膜炎をおこしていたにもかかわらず強行参加、痛い思いもされましたが楽しい旅行だったこと。又、3年生の時、野球部の応援の練習を熱心にされていたそうですが、夏の大会予選1回戦が甲子園で行われる日と、1学期終業式が重なってしまい、やむをえずブラスバンド部と集団欠席をして応援に行かれたこと。当時大騒ぎになったそうですが、熱のこもった応援もあってか、野球部は勝利し1回戦を突破されたそうです。

卒業後は立命館大学経済学部(2部)に入学、昼間の日本国有鉄道新幹線総局保線課でのアルバイトと両立させつつ、卒業されました。

仕事のほうでは、1969年には同社に正式に入社されましたが、奥様との出会いは、入社後上司に連れられていった社交ダンス場でのことだったそうです。ご結婚直後に明石に転勤されたことから、アパートでの新婚生活の始まりとなりました。1男1女の2人のお子さんに恵まれ、そのお子さんたちを実家の小学校に通わせたいと、ご家族でご両親のおられる地元に戻ってこられました。その後、17年勤務された会社を退社され、地域の会社を経て、1990年からは西田建材(株)に勤めておられます。

又、若き37歳の時、当時の塔下市長や観光協会の呼びかけで「三田太鼓」が結成され、創設メンバーとして参加されました。独自独創の演技に、その名声は国内はもちろん外国にも知れ渡り、三田市内の公的イベントから他府県の要請、さらには韓国・アメリカ・オーストラリアの諸外国からの招待等、年間50回以上の演奏をされました。現在は少し減っていますが、それでも年30回ほどの演奏をされるそうです。現在、坂本さんは副会長を務められており、2年前の本校の110周年記念式典で、素晴らしい演技・演奏をしていただいたことが、今も私の脳裏に残っています。

他の地域活動でも、若い頃から地元の信望が厚く、中学校のPTA会長、区長、区長会副会長、消防団第7分団副団長、同和教育協議会副会長等、多くの役職を務めてこられました。又、市民のためにと市政にも参加され、2003年市議補欠選挙に当選、2004年市議選挙当選、そして今回(2008年)の市議選でも、これまで取り組まれてきた実績が大きく評価されて当選されました。これからも「熱血さかもと三郎」として、市民一人一人の声に応えていかれることと思います。

 多忙な毎日の中にも、三田の自然が好きで、休日には緑や歴史を尋ねて散策されるそうです。

(文責:谷郷賢明)
person2