開基は1,270年以前、開山は承応3年(1654年)と言う歴史を持つ西方山「青龍寺」の24世住職の林田亮慈さんが卒業生と聞き、訪問しました。
駐車場に着くと、目の前にはまだ新しい素晴らしい本堂、そして左右には薬師堂と檀家信徒会館と、しばらく見入ってしまいました。林田さんの父である23世勇智海大和尚が昭和47年に事業認可を受けて造られた、北摂随一の墓地公園「城ヶ丘墓地公園」の公園管理事務所でお会いし、お話を伺いました。
本校では9組の進学クラスで学ばれ、軟式テニス部とブラスバンド部で活躍されたそうです。体育大会でブラスバンドが先頭にクラリネットを吹きながら行進したこと、1時間目の授業をさぼってしごかれた事など、懐かしく話して頂きました。
卒業後は駒沢大学に進学されましたが、途中で資格取得のため福井県小浜市「発心寺」で修業され、帰京後は23世住職と共に仏事につかれました。特に力を注がれたのは本堂の新築再建の大事業で、10余年の年月をかけ3年前に完成されました。
位牌堂や国宝の「子安如意輪観世音菩薩坐像」・本堂・会館と見せて頂き、色々な取り組みについても話して頂きました。本堂では、高校時代の経験を生かし、子供達を集めて年1~2回コンサートを開かれる他、会館もいろんな催しに開放されています。
ご子息が1人、今は東京に住んでおられるそうですが、「将来は帰ってきて私の後を継いでくれますよ」と楽しみにされておられるようでした。
元気なご様子でしたが、心筋梗塞・糖尿病で病床生活もされたとか、互いの健康を気遣いながら青龍寺を後にしました。
(文責:谷郷賢明)
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