小春日和の12月初旬、お忙しい中、清陵会事務局に来ていただき取材させていただきました。
高校時代はみんな仲良くとても楽しかった。と話される笑顔が印象的な取材でした。

藤井さんは、兵庫中央病院の前身の春霞園(しゅんかえん)の准看護学校を卒業されてから、有馬高校定時制に編入されました。
学生時代は、とにかくイベントが大好きで、文化祭にはグループを組んでギターの伴奏で「戦争を知らない子供たち」や、「白い色は恋人の色」などのフォークソングを歌いました。また、クリスマスには、生徒会室にステレオを持ち込み、みんなで好きな音楽を聴いて、ジュースで乾杯し楽しみました。とにかくみんな仲良く楽しい学生時代でした。
しかし、仕事をしてからの通学だったので、授業中にボーっと前を向いていたら、上馬先生に注意さえて皆に笑われてしまったことも良い思い出です。

卒業後は、高等看護学校へ進学しました。その年に高校の同級生と結婚し、2人のお子さんを無事に出産しました。看護学校は、学業と実習、出産と子育てを家族やまわりの人に助けてもらいながら無事に卒業しました。
その後、若森産婦人科で10年勤務、その後兵庫中央病院で23年間勤務しました。
看護師をしながらの子育ては、家族の協力もありましたが大変でした。夜勤の日は、よくカレーを作っていました。子どもたちは、今でもカレーを見ると、お母さんが仕事でいない日を思い出す、と言っています。

看護師は兵庫中央病院で定年まで勤めて引退しました。
現在は、働いていた時にはできなかったことを思いっきりしようと思い、コロナ禍までは、コンサートに行ったり、宝塚歌劇を観劇したりしていました。
64歳の時に孫が生まれましたので、子守をしたりしていましたが、孫も小学生になり、手がかからなくなった現在は、自治会の副会長の活動や、「まちづくり協議会」の副会長として、見守り活動や、公園の清掃活動などのボランティア活動に励んでいます。
また、「三田人権を考える会」に所属し、差別やいじめのない誰もが平等に暮らせるよう活動するなど忙しい毎日を過ごしています。