人生の思い出

 私は、昭和43年4月1日有馬高等学校に入学し、1年6組、2年3年は9組で同級生と共に、3年間楽しい高校生活を過ごしました。
この3年間の学生生活では、勉強をするということよりテニスクラブの活動に青春を注いだものでした。一番の思い出は、3年の春の大会で、ペアーで今は亡き白井君と宿敵である三田学園チームに勝利し優勝盾を学校に持ち帰ったことです。平素の苦しい、辛い練習が実り二人して泣き笑いをしたことが懐かしく蘇ります。


 クラスとしての思い出は、体育祭での学年対抗リレーで3年連続優勝し、チームメイトやクラスメイトと大喜びしたことが記憶深いところです。
恩師は、1年には黒崎先生、2年3年と岸本先生にご指導を仰ぎました。お二人とも、生徒一人ひとり個性を理解して熱意をもってご指導いただきました。
岸本先生には、卒業後の進路について「人の役に立つ仕事をしたいのですが、何処かいいところはありませんか」と相談させていただきました。先生は親身に考えてくださり、宝塚への受験を勧めていただきました。


 おかげ様で、卒業後、昭和47年4月1日付けで宝塚市消防本部の消防職員として入職することができました。感謝しています。
消防生活をスターとして、良き同期、良き先輩、良き後輩に恵まれ、そして市民の命を守るという共通の目標を持った職員の団結力のお陰で、無事に41年間の消防人生を終えることができました。当時の消防仲間に感謝の気持ちでいっぱいです。
消防人生の思い出(出来事)で、特に大きなところとしては、平成5年3月 第3回救急救命士国家試験に合格し、宝塚市第1号の救急救命士として救急業務に精励できたこと。
その後、救急救命士処置範囲の拡大や後輩救急救命士の養成等、宝塚市の救急業務体制の充実に関わりを持てたこと。
阪神淡路大震災では、家屋の下敷きとなり負傷された方々を、消防隊員、救助隊員が救助し、私達救急隊が病院へ救急搬送しました。被害が全市的で、今までに経験のない大きな災害対応となりました。私達の力の無さ、市民の皆さんの助け合いの重要性を痛感させられました。悔しく、空しく、悲しい災害活動、そして、多くの教訓を宝塚市、消防組織に残した災害となりました。
消防の集大成は、平成21年4月1日付で、宝塚市消防本部第16代の消防長(消防正監)に就任し、平成25年3月31日までの4年間、職員の皆さんに支えられて、無事にその職責を果たすことができました。


 職員の協力や理解を得て成し遂げた大きな事業は、宝塚市、川西市、猪名川町による三市一町情報処理システム共同運用を構築したことです。宝塚市長、川西市長、猪名川町長様、各市町の検討員会のメンバー様に感謝しています。
 私の41年間の消防人生は、「有難う」「感謝、感謝」で、本当に幸せな消防人生でありました。
この度の叙勲は誠に光栄なことであり、私だけでなく消防仲間と共に受賞したものと思っています。
消防人生の卒業後は、縁あって、医療法人尚和会 介護老人保健施設ケアヴィラ宝塚の事務長として転職し、この事務長職を5年間勤め、現在は、医療法人尚和会 法人本部で勤務しています。
地域の活動としては、老人クラブが主催するいきいき百歳体操の支援や宝塚市主催の自立支援型地域ケア会議等へ、宝塚市の高齢福祉課と調整し、理学療法士や作業療法士を講師として派遣しています。また、地域の自治会長と調整し、医療に関する講演会を出張講座として実施しています。
                                   (執筆 山田茂樹)