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真田 保男さん(有高7回)

真田保男さんは、五年前、現職町長を交えた三つ巴の激しい選挙戦を制して、 現在、猪名川町長として二期目を住民の期待を担ってご活躍中である。

町長室をおたずねすると、最初に目に映ったのはオーストラリア国旗であった。 自らも同国の多くの市民を家庭に招いて、ホームステイの経験をお持ちとかで、 その体験を通して、物に恵まれ過ぎた日本の子ども達の教育環境について 「これで良いのだろうか……?」 と憂いを含んだ言葉で呟くように語られた言葉が印象的である。

真田さんは昭和27年から3年間、雨の日も雪の日も嵐の日も、 片道自転車で1時間半(18km)の道のりを、峠を二つも越えて通ってこられた。 当時は自転車のチューブ一本が米一俵(60kg)もした時代、 高等学校へ通うことすら許されない友人のいる中で、 空腹を堪えて過ごしたあの時代の体験が、忍耐と逆境にうち克つ強さを培ってくれたと語られました。

当時の一週間の小遣いが30円、 それは使うためではなく自転車のパンク修理に備えるためであったとか、 帰り道の山・坂を気にもせぬ風に、 あの大きな体を激しく柔道に打ち込んでおられた姿を思い出す。

真田さんを強く支持しておられる同窓生の皆さんの言葉をお借りすると、 「初陣の苦しい選挙戦を勝利出来たのは、清陵会員の力添えのお陰です。 全く動向の読めないニュータウンにあって、 “わたし三田高女の出身なの”と言って親身になって奔走していただいたお陰で、 点から線、線から面と盛り上がった同窓意識の後押しで……」 と語ってくださった。

町長を筆頭に、その他に猪名川町や多くの分野で御活躍の同窓生のお話をお聞きして、 清陵会の今後の在り方を示唆して貰ったような、すがすがしい思いで帰途に就いた。

(文責:大西勲)

私の信念
卒業して50年にも及ぼうとしています。
まさに「光陰矢のごとし」であります。
その間に、時代は20世紀から21世紀へと大きく変わりました。
しかし、有馬高校で学んだ私の心の思い出は、今も少しも変わっておりません。
今年の正月に、久し振りに天神に参拝して、有高周辺を歩いたときに、”傍示山”辺りを眺めながら、農業実習など、辛く苦しかった自転車通学の苦労を思い出しました。
今、私は、猪名川町長として自分が生まれ育った「ふるさと猪名川」のまちづくりに、「思いやり」の心を以って、精魂込めて尽くせるのも、有高で学んだ多くが 私に力を与えてくれていると確信しております。
後輩諸君、苦しいときこそ、活路を見出す「チャンス」であります。そして、そこから生きる力が培われていくものであります。
現在の満たされた社会に「おぼれるな!」と言葉を添えさせていただきます。

第7回卒業生(昭和30年春卒) 真田保男
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