三世代で栗と梅の湖梅園を守る小仲教示さん・正章さん・優樹さん
 三田市大川瀬の集落からは少し離れて位置する場所、大川瀬ダムを上流から眺め紅葉も美しく素晴らしい景色の中に湖梅園があった。園地は金網のフェンスにかこまれて栗と梅が谷一面に低樹高栽培されている。13haの栽培面積がある。現役で栗と梅の栽培に励まれる84歳!

 当時の有馬高校には長坂・羽束・吉川・淡河・4分校と本校に夜間の定時制がありました。私は4年生の長坂分校に入学しました。先生の思い出は、トレパン姿の西村分校長・ハカマ姿の中西先生・ポインターで通われていた上馬先生・ご飯に牛乳をかけると、美味しいという仲井先生・なぜか生徒をひきつけるような畑中先生。大変お世話になった、こづかい室東良さん、男子24名女子23名4年間担任して下さった清水先生、かなり強烈な先生で皆やんちゃざかり実習室にふざけていると鍬の柄で「コン」ではなく「ゴツン」とやられ本気で叱っていると伝わっていたので今はなつかしい、乳牛1頭・和乳2頭・にわとりを1~3年生で飼育していた。農場当番があり、やんちゃな生徒で良く飼育していたものだと思う。生方には大変だった事だろう。中でも育すう当番が思い出深い、ひなの事など 二の次で学校で泊まるのが1番の楽しみだった。
 今思い出せば、はずかしい毎日だった。しかし高校生活は仲間づくりの4年間でした。最後の教室で第10回卒業生同窓会幹事名簿(案)という物だった。これは正に清水先生の私案であり男子(2名)女子(2名)12年生続いたのは、本当に不思議に思う。その後は、次回幹事を決めて、2・3年に1回行ってきた先生と「正やん」は皆勤令和6年をミニ集会となった。友とは良き物。私が就農当時、酪農以外は農業と思われないような時代「さんちゃん農業」女性の結婚感は「家付きカー付きババぁ抜き」そんな中での就農。ゴルフ場に売れば一生利子で暮らせると言う時代に、何をとちくるったのか山林を開墾し、栗を植えつけだしたから変人あつかいだった。

 息子が就農し、インターネットなどで、堆肥を中心に除草剤などは使用しない。昔ながらの案作り、それを求めて下さる、パテシェの方法加工業者に出会えた事、栗専業農家としてのめどがついた事と嬉しく思う。平成から令和えと年号が変わる時に、政府、主催で行われる。

 「即位の礼」160ヵ国から650名の」国家元首・国賓を招き。ホテルニューオータニでの晩餐会が国賓を招きホテルニューオータニでの晩餐会が取り行われた。
五品からなるフルコース最後のデザートに我が家の銀寄の三田栗でモンブランとした使用して頂いた。
NHKの2時間番組で放映され、全員完食とナレーションされた時本当に嬉しかった。ナレーションされた時、本当に嬉しかった。息子に経営をゆずり20年、孫も昨年、就農してくれた。

 今は雇われの身、年に合った作業を少しずつの毎日を送っている。デジタルの世の中私にはとてもついて行けないが、そんな中で息子達は仲間達との絆をはぐくんでいるのを嬉しく思う検討を祈る。