JA兵庫六甲 三田地域青壮年部委員長で活躍されています、福井さんに学生時代の話やこれからの農業の話などを伺いました。子どもの頃から乗り物や働く車が好きで、動く仕組みがどうなっているのか知りたい思いと、乗りたい思いが強く、子供の頃にカッコイイ黄色いコンバインに憧れて、携帯電話の待ち受け画面にしていたなど、今も続く知りたい精神を持って農業に取り組んでおられるのが伝わってきました。

高校時代の思い出
 担任は1年梶田先生・2年中山先生・3年柿原先生でした。柿原先生は生徒に近く、言いたいことが言えて、聞いてもらえる先生でした。3年間同じクラスで、友達を作りに有馬高校に行ったようなもので、今でも友人たちと連絡をして交友を温めています。

 小学校の頃から走ることが得意だったので、クラブは陸上部。顧問は梶田先生で、優しく熱い先生でした。体育祭が一番印象に残っていて、クラス対抗リレーに出て優勝したことが思い出です。200m走でサッカー部の先輩に負けた事を覚えています。悔しかったです。

 修学旅行の行先はマレーシアで、最初の海外旅行でした。人と自然科のクラスはボルネオ島に行き、ジャングルの中、近い距離でオランウータンを見ることができ、よかったです。食事は慣れない香辛料や独特の風味で大人になった今なら楽しめるのではないかと思います。本当に目新しいことばかりで、また行ってみたいと思っています。卒業アルバムを見返すと、修学旅行の欄にはジャングルとオランウータンが映っていました。できればマレーシアのサーキットでレースを見たかったのですが。

 農業祭では本当に沢山の地域の人々で賑わっていて、生徒の作ったものを色々買ってくださって嬉しかったです。農業当番ではよく花の鉢上げをした事を覚えています。
3年生の時、塩見先生の指導のもと、課題研究で移動販売車を友人と制作しました。屋根付きで、花や野菜を販売する為のものでした。
文化祭では2年生の時に演劇でクラス風景を題材にしたものに出演、クラス皆仲が良かったので楽しい思い出です。

卒業してからは
 大阪産業大学工学部に進学しました。大学は卒業する時に自動車整備士の資格が取れる大学へとの考えから、手に職をつけるべく最寄り駅から片道2時間かけて通学し、休みの日は整備の仕事を覚えるために整備工場でアルバイトをしていました。大学でも共通の趣味を持つ友達が沢山出来ました。
 卒業後は井関農機の販売会社へ就職(現:ISEKI Japan)イセキでは近畿全域で営業や修理と、乾燥調製施設(JAライスセンターなど)での仕事でした。ライスセンターには乾燥機やその他機械が多数あり、特に秋は大変でした。昼も夜も忙しく働いていました。

2019年に退職後就農
 小学生の頃から、いずれは専業で農業をしたいと思っていた為、父親の定年退職と私が30歳になった時に決断し、現在の土地利用型農業を始めました。当初は目の前の仕事をこなすことで大変でしたが、今となれば決心して良かったと思っています。現在は三田市の本庄地域を中心に、自身の所有地と地域の方々から農地を預かり、約20ヘクタールで山田錦やコシヒカリ、WCSを生産する他、機械作業の受託を約10ヘクタール行っています。

今自分が力を入れていることは
 生産している山田錦の栽培です。山田錦は倒れやすく、刈り取りや乾燥調製が難しいです。熱を急激に加え乾燥しすぎると割れ、籾摺り選別も大変シビアな調整が必要とされますが、そこにやりがいを感じ、より良い品質で出荷できるよう頑張っています。

家族のこと
家族は結婚して昨年息子が生まれ、これからの成長が楽しみです。
趣味はモータースポーツ。

地域では
※ JA兵庫六甲三田地域青壮年部 委員長 盟友数40名 
2か月に一回の定例会議やお互いの情報交換などで交流(三田市農業まつりなどで出店)そして食       育活動を6支部(高平・三輪・三田・藍・本庄・広野)で実施。三田米はもちろん、地場産のウド等を小学生たちと育てています。
※ 三田耕楽クラブ 副会長
※ JA兵庫六甲三田山田錦部会 副部会長
※ 福井アグリサポート 代表
 
 最近の農業機械の進歩は目覚ましく、ロボット化や、ラジコン草刈り機、ドローンを使った薬散布等これからの農業を変化させる頼もしい機械が出現。でも人が乗って操作しなくてもよくなってしまうのは寂しいので、私は生涯乗り続けたい。そして、これからの三田市の農業を、知り合うことができた多くの先輩方や、同年代の仲間たちと共に、さらに発展させられるようこれからも努力したいと思います。
これからの農業が楽しみです。

   倉庫前にて
    取材風景
     米の乾燥機
   出荷前のネギ
     コンバイン