松村さんは、キッピーモールにある「松栄堂」を経営されています。
2月中旬の寒さが少しだけ和らいだ日に清陵会館でお話をうかがいました。

松村さんはあまり話す思い出はないかもしれないとおっしゃっていましたが、卒業アルバムを見せたところ、懐かしい有高生活を思い出したくさんの思い出を語ってくださいました。
 3年生の時、合唱コンクールの指揮者にクラス投票で選ばれました。コンクールの予選はギリギリ通過しました。
初めての指揮ということもあり、片手で指揮をしていました。その様子を見ていた当時音楽の先生だった梶谷先生に呼び止められました。
「指揮者は、片手で指揮をしているとやる気がないように見えてしまう。」と言い、放課後の音楽室で、両手を使った指揮の仕方やリズムの取り方などを教えてくれました。
そして両手で指揮ができるようになり、合唱コンクールでは見事優勝することができました。
梶谷先生との思い出は他にもあり、1年生の集団訓練の時、友達と2人でなにかの悪さをして担任に長時間注意されたことがありました。その時も梶谷先生に「君たち、もう部屋に戻りなさい。」と声をかけてもらい助けていただきました。とても良い思い出です。
その他の思い出は、3年生の体育祭で、応援団長を任されたことです。合唱コンクールで優勝したこともありクラスのチームワークもよかったので、総合優勝することができました。とても思い出深い一年間でした。

卒業後は、実家が和菓子屋ということもあり、辻調理師専門学校の製菓コースに進学しました。製菓コースは、多くの時間が洋菓子の授業だったので、和菓子を作ることが少なかったです。しかし今もたまに洋菓子を作ることがあり、当時の授業が役に立っています。
専門学校卒業後は、大阪の天王寺の文の里にある「さげつ堂」に就職し、そこで4年半、修行しました。
「さげつ堂」での修行時代は、若い人は松村さんだけだったこともあり、一人で下働きをしないといけなくてとても大変でした。しかし、そのおかげで多くの仕事を早く覚えることが出来たと思います。
また、当時、さげつ堂の社長は高齢だったこともあり、通いで手伝いに来ていた職人さんがいました。その職人さんたちからいろんな和菓子の作り方を教えてもらい、月1回の講習会などで和菓子の勉強をしていました。
さげつ堂での修行後は、和菓子を教えてくれていた職人さんや、いろんなところから仕事の話もあったのですが、実家の「松栄堂」が当時新しくできた岡場のエコールリラに支店を出す話があり、実家のお店に戻ることになりました。
実家に戻ってからは、キッピーモールにある「松栄堂」ではお父さんと一緒に働き、エコールリラのお店を妹さんと営業していました。
5~6年前からはお父さんにはできることを手伝ってもらいながら、一人で頑張っています。
趣味としては、学生時代テニス部だったこともあり、今も週に1度テニスを続けています。また週に数回ジムに通い、毎日ではないですがウオーキングを楽しんでいます。
 コロナ後から三田の駅前も人通りが少なくなってきたように思います。また、近年は和菓子の材料、特にもち米や粉類の価格が上がっています。この先も悩むことがたくさんありますが、これからも両親と一緒に「松栄堂」を守っていきたいと思っています。

取材の最後は、三輪小学校時代の話や、八景中学校時代の話などでも盛り上がり、とても楽しい取材でした。