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仲畑俊幸 さん / 仲畑紫央里 さん

ご主人の俊幸さんは、在学中は陸上部に所属され、駅伝でアンカーとして県大会にも出場され、その健脚ぶりでご活躍されたということです。文化祭では2年生のときに、ご自身が中心となって「もちもちの木」の影絵を演出したのが大好評で、のちに老人ホームや幼稚園からも依頼があったということです。(残念ながら実現はされませんでしたが、忘れられない思い出だそうです。)

また担任の先生は、2、3年と梅本先生でした。なかなかユニークな先生で、自分の奥さんを彼女(奥さん、嫁さんという表現をしないのが主義)と呼び、いつも「彼女」の話をしてくれたそうです。

有高卒業後は、建築の専門学校で2年間学ばれました。普通科出身なので、専門用語など覚えるのに大変苦労されました。その後、開発設計事務所に就職され、旅館やマンションの設計に携われました。そして、24歳の時に建築の勉強のためにスペインへ行き、建築家アントニオ・ガウディの作品を見て、日本にはない芸術的な造りに感動したということです。

その後、26歳で父親(No.160で紹介された仲畑博文さん)のボーリング会社の社員となり、27歳で花の栽培を任されるようになりました。ひまわり、ストック、ハボタンなど40種類も栽培され、パスカル三田を主に市場にも出荷されています。

また、最近では絵画の趣味もあり、瓦に描かれた「風神雷神」を拝見させていただきました。忠実に再現され大変みごとな作品に驚嘆いたしました。現在は、三田耕楽クラブの会員や、三田青壮年部会員、桑原の秋祭りでの獅子舞いなど多方面でご活躍されております。

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奥様の紫央里さんは、大沢中学から有馬高校普通科に入学。担任は1年大垣先生、2、3年は小野先生にお世話になり、部活動は3年間吹奏楽部で活躍されました。木管低音楽器のファゴットを担当、コンクールでは地区大会や県大会にも出場し、特に3年生での県大会では、見事に金賞を受賞されました。顧問であった岡崎先生の練習はかなり厳しく、朝練や夜遅くまで練習があり、母親に学校まで迎えに来てもらったこともあったそうです。

卒業後は西宮にある短大に進学、その後2年間「鈴丹」に就職され、その間にお店でご主人(俊幸さん)と運命的に出逢い、24歳で結婚されました。

中学生時代からの音楽活動にも積極的で、現在は市民吹奏楽団ウインド・アンサンブル・コスモスに所属されています。メンバーは60名ほどで、高校生から70代の幅広い構成で、週一回フラワータウン市民センターで練習されています。3月の吹奏楽フェステイバル、11月の定期演奏会を目指して夜遅くまで練習があり、その合間を縫って老人ホームやライオンズクラブの記念式典での演奏に出向くなど、充実した毎日を過ごされております。結婚、出産で途切れたりはしましたが、いつまでも演奏活動は続けていきたいと笑顔でお答えいただきました。

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 有高卒業後、ご夫婦そろって地元でご活躍されており、3人の元気な息子さんやおじいちゃんおばあちゃんに囲まれ、幸せいっぱいのとても仲の良いご夫婦でした。

(文責:谷口 真弥)

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