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曽根 まさかさん (有高11回)

春の叙勲で瑞宝双光章を受章

取材を申し込み、早速に事務局まで来て頂きました。

私とは幼馴染、小・中・高と1年後輩、田舎での子供時代の懐かしい話、さらには、高校時代では2組で西川先生が担任,早朝・放課後の農業当番、厳しかった実習、町へ花・野菜を販売に行ったこと、体育祭の仮装行列、マラソン大会等々懐かしく話して頂きました。驚いたのは、3年間自転車通学をされたと聞き、20㎞ある悪路の道のり私は1か月でダウンしバス通学に切り替えたものですから、ただ驚くばかりでした。

卒業後、神戸のゴム関係の商社に1年弱務められ、その後、昭和35年運輸省神戸海運局(現国土交通省神戸運輸監理部)に入省、海事関係の仕事一筋約40年務められ58歳で退職されました。やはり一番の思い出は、一命をかけて陣頭に立ってやり遂げた阪神・淡路大震災での救助活動、当時、旅客船・フェリーボートの安全運航の責任者で先任運航管理官であったことから、神戸がJR・私鉄・阪神高速・国道2号・43号線等がマヒし陸の孤島化したため神戸港から大阪・明石・西宮・姫路・関空等への臨時航路開設のため奔走され、通常通りの事務処理では、すぐに運航が出来ないと判断し、船会社・海上保安庁・神戸市等との調整を超法規的に行い、神戸港~大阪港間の臨時航路を始め13の海上ルートを開設したことから、約70万人の方々が危機から避難できました。
今回は、震災時の航路開設が高く評価され、栄えある受章となりました。

退職後は、(社)神戸海事広報協会に入られ、主として青少年に「海」・「船」・「港」の大切さ・重要性について啓発・海事思想普及業務に8年間従事され、さらには(社)神戸港振興協会に勤務され海事関係のイベント実施に3年間携われてきました。身を引かれた今は、広報協会主催の小学生対象の「海洋教室」の手伝いや趣味の竹細工で「子供竹トンボ教室」を開かれ、時間があればいろいろと作品も作られ、今日も数点持参されその見事さに皆感じ入りました。時間の余裕が出来た今、奥さんと長男との3人家族、体も良好で、「毎日の晩酌が楽しみですね。」とのことでした。

 (執筆:谷郷賢明)

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