植田 稔さん (農43回)
さつき賞受賞
遺族援護活動を通じて、戦争遺族の福祉向上と平和思想啓発に貢献された植田さんを自宅に訪問していろいろお話を伺いました。
お年を感じさせない溌剌とした言動に驚きながら、高校時代のお話をまずお伺いました。
藤薗先生が担任、頭に浮かんでくるのは軍事訓練のことばかり、教官の厳しい指導の中で突撃ラッパを吹かれておられたそうで2年生の昭和18年11月下旬予科練に入隊、約1年8カ月の訓練を受け、昭和20年8月15日除隊、それ以降は四男でありながら父親と共に75㌃の田圃での農業に従事、農閑期には土方にも出て働かれたそうです。
そして昭和29年に結婚、そして近畿電気工事株式会社に入社、子供3人が出来、「当時は大変でしたわ。」とのことでした。
人望が厚く30歳で区の特別会計を担当その後は、農会長・区長・寺総代・宮総代と全ての役を務められる中、昭和58年遺族会に入会と同時に三輪分会長をその後、市遺族会会計監査を担当さらに平成4年から市遺族会副会長を長きに渡って務められ平成21年で勇退されました。
又、山田地区で昭和63年から始まった土地改良事業の理事長に就かれ、平成10年に完了するまでの長い期間、いろいろな難問もクリアし大事業を成し遂げられました。
今は、孫3人が出来、「外のことから家のことまで何でもやっているんやで」とハツラツとした元気なお姿を見ることが出来ました。
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