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湯浅 伸彦さん (有高36回)

曹洞宗慈光山普明寺(ふみょうじ)の、湯浅住職にお話を伺いました。

昭和56年の4月、有高普通科に入学されました。担任は1年が橘田先生、2年が荒木先生、そして3年が小村先生でした。
特に小村先生が印象に残っているそうで、おとなしい先生でしたが厳しい一面もある方で、体育祭の応援バックボード作成を担当した時に、普通は板をつなげて大きくし当時流行っていた漫画キャラクラーなどの絵を描いていくのですが、小村先生から「板を組み立てて飛行機にして、立体的なものを作ってはどうか」と提案されました。

残念ながら実現はしませんでしたが、その斬新なアイディアにびっくりしたそうです。(ちなみに小村先生は、その4年ほど前に卒業の記念として3年生にハングライダーの製作を発案され、実際に出来上がった大きな作品にご満悦でした。)

修学旅行は黒姫スキー場に行き、なかなかスキーは難しかったですが、最後には滑れるようになり面白かったそうです。「リフトがとても変わっていて、椅子ではなく棒に腰掛けるような大変難しくコツがいるもので、非常に乗りづらかったです。
それからスキー実習中にクラス対抗の雪像コンテストがあって、うちのクラスはミッキーマウスを作ったのですが、雪の扱いがとてもむずかしくて、とてもミッキーには見えませんでした。」と身振り手振りでお話しいただきました。

絵を描くのが好きだったので、部活動は美術部に所属されました。部員同士も仲が良くて、奈良までムンク展を観に行ったりしたそうです。
そして有高卒業後の昭和59年4月に、宗門の大学である愛知学院大学の、文学部宗教学科に入学されました。
そして同時期にお寺に入られ、近くにある大乗寺専門僧堂にて修行されました。大学在学中の4年間における一日の生活としては、朝のお経が終わると大学へ行って講義を受け、夕方にはお寺に戻って晩のお経をするという忙しい毎日で、その合間にお寺の庭造りなどの作業をやらされて、とても大変だったそうです。
それから、坐禅堂の向きを変えるために修行僧20数名だけで持ち上げて動かしたなど、信じられないすごい逸話もあったそうです。
その大乗寺で5年間の修行を終えて、平成元年から現在に至るまで、伊丹の墨染寺に勤務されています。そして平成5年には猪名川の自牧寺住職に、さらに平成21年には宝塚市波豆の普明寺住職となり、立派な晋山式(新しく住職として入る儀式)もされました。なおこの普明寺は、摂津国三十三ケ所霊場第十二番札所に指定されており、有名な龍馬神の伝説が残っており、宝塚市の重要文化財や有形文化財もある大変由緒あるお寺で、神戸新聞にも紹介されたことがあります。
ご家族は、平成7年にご結婚された奥様と、翌年誕生された娘さん(現在は中学2年生)で、なんと娘さんも美術部でご活躍だそうです。

「最近はなかなか自分の時間がなく、趣味の模型づくりもできませんが。また自分の趣味の時間を作りたいです。」ということでした。
檀家さんからの評判も良く、取材させていただいても随所に人柄の良さがにじみ出ていて、実にお話のしやすい御住職でした。   合 掌

(文責:谷口 真弥)

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