奥田 純さん (有高11回)
平成23年春の叙勲で、瑞宝小綬章を受章
私は、有馬高校第11回(昭和34年)の卒業生です。今年70歳になりました。
有高卒業後、国税の職場に就職し、平成11年に東税務署長を最後に退職するまで40年間税務の仕事に従事してきました。
この度、はからずも瑞宝小綬章を受章し、有難く拝受致しました。
職場の先輩や同僚、後輩はもとより、多くの方々の支えがあったからこそと、心から感謝しております。
40年のうち、勤務先は奈良、滋賀、京都、大阪などいろいろと変りましたが、通算して21年間は、大阪国税局の庁舎での勤務でした。
仕事は主として所得税の担当で、最も記憶に残っているのは平成7年1月の阪神淡路大震災のことです。
その年の7月に国税局の所得税課長に転勤し、被災地所轄署と連携をとりながら、個人納税者の震災税務(主として住宅などの被害額の控除による所得税の還付)に対応しました。被災納税者の心情を思いながらのつらい仕事でした。
今年3月に東日本大震災が発生し大変なことになっていますが、当時、税務に関してとりまとめた冊子「阪神淡路大震災の記録」が、いま、東日本で役立ってくれることを切に願っています。
税金は少ないにこしたことはないのですが、国の財政を支えるために必要なことは誰にもわかります。
このため、園部税務署長時代、管内の亀岡市にある京都学園大学で租税講座を開講し、まもなく納税者となる大学生と、税の仕組みを勉強しあるべき姿を議論する場をつくりました。私の転勤後も7年間続いたことは、うれしい思い出のひとつです。
有高時代は、1年生から3年生まで飯田廣先生の担任でした。
1年生のときには、先生に長男が生まれ、クラスみんなでささやかなお祝いをしたことや、3年生のときには、進路について親身になって心配し相談にのっていただいたことが、有難くまた懐かしく思い出されます。
卒業後の同窓会の席でも「円に内接する三角形の面積が…」と幾何の話に熱弁をふるっておられた先生でしたが、亡くなられてもう十年になります。
70歳になった今、振り返ってみますと、幼いころ、親から「正直に、まじめに」と、ことあるごとに言い聞かされたこと、そしてその後も多くの人に支えられて今の自分があることを痛感し、心から感謝しています。
これからは、趣味の写真などを楽しみながら、一日一日を大切に生きてゆきたいと思っています。
(文責:奥田 純)
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