瑞宝単光章を受賞されました。42年間三田市消防署に務め、長きに渡って消防活動に務めてこられました。

この度叙勲されたのを知り、お宅に取材に伺いました。
担任の先生は西浦先生で優しい先生でしたが、特に石原先生・梶田先生の事をあれこれと思いされるそうです。ご本人はおとなしい性格で、あまり注意されることもなく過ごされました。

通学は、一年生の頃は自転車で、乙原から40分、当時は16歳で単車の免許が取れたので、二年生から単車通学されたそうです。当時は学校で牛・豚・鶏など動物が飼育されていて、冬に牛が食べる貯蔵用の干草を、自転車の後ろに括り、運んだのが記憶に残り、冬の早朝の当番は格別に寒くて通学が大変だったとしみじみ思いだして話されました。
ある時、清水先生の授業で農作業の実習中し尿を田に撒いているときホースが外れ、大変な思いをしたと語られました。

クラブは柔道部で伴野先生が顧問でした(その場でアルバム写真を皆で見たところ、3年生全員14名だった)クラブ活動で楽しかったことはあまりなく、しんどかった思い出が残った。
自転車通学だったから、部活で遅くなると真っ暗で、上野の坂を自転車で乗りきったと聞きました。
授業の思い出は農業が専門で優先的でした。高校時代で一つ残念だったことは、夏休みの農業体験実習で北海道に行きたかったと後から思った。
修学旅行は北九州だった、熊本・別府など巡り、ガイドさんが美しくその後バイクで会いに行った同級生がいます。

卒業してから、人のために役立つ仕事をしたいと、消防を選ばれました。
昭和42年三田市消防本部が発足し、当時は三田市長が消防長を兼務されていたそうで、署員23名で消防車両も少なく救急車は配備されていなく主に火災業務を行っていたそうです、又消防署には望楼が配備されていなく、主に火災業務を行っていた。昼夜を問わず署員交代で火災発見に務めていたそうです。夜間に建物火災を発見されたこともあったそうです。
渇水の年には消防タンク車で武庫川近くにある、兵庫中央病院の浄水場から水を運んだのが特に記憶として鮮明に残っているそうです。

リタイヤ後は2年間ゴルフ場で、その後介護車の運転を9年間されていました。
この後本人はお米を,奥様は野菜を作られ、息はぴったり合っていて、お二人共に有馬高校卒業の仲良しご夫婦とお見受けしました。
(執筆 羽渕和美)