演出家・蜷川幸雄氏のもとで、数多くの舞台作品に出演

3年生の時は9組で担任の先生は、メガネ、白衣、横わけの加藤先生でした。
園芸科、造園科の同級生も仲が良く、そっちに遊びにいっていたのも覚えています。修学旅行で、他の高校生とケンカになって、私がかけつけた時には、終わっていたのを、憶えています。
また、卒業式の時、コートを着て、車で行ったこともありました。
そんなこんなで卒業して、私は、芦屋芸術学院というデザインの学校に行きました。そして、そこではたしかにデザインの勉強をしていましたが、友達とよく映画ばかり見ていました。
そして、いつの間にか、その映画の中に入りたいと思うようになりました。
その映画の中に「魔性の夏」という映画があり夏目雅子主演、萩原健一、石橋蓮次、出演。そして、監督は蜷川幸雄氏です。
今思うと、これも何かの縁だったのだと感じました。そして、その芦屋芸術学院を卒業して、畑ちがいの俳優の道に進んでいきました。
1982年4月1日(昭和57年)、
20才の時に俳優になるために東京に上京、その当時同級生の谷口真弥さん・乾基久さん・小野敏之さんが、大学・専門学校等で上京していました、その人達をたよって、東京の世田谷区の三軒茶屋に行きました。私は今も三軒茶屋に住んで家族四人で暮らしています。最初、東京に着いて、四人で飲みに行って、渋谷でほって帰られたのを、38年たってもよくおぼえています。
今は「コムレイド」と言う俳優事務所に所属しています。

はじめは、東京青山にある、青山シナリオセンター演技化という、俳優養成所に入所して、1年間俳優の基礎訓練を受けて、卒業後に、小劇団に入所、又、小劇団を作るなどして、演劇にたずさわって来ました。
そして、私が26才の時に、蜷川幸雄氏が主催する、「NINAGAWA studio」ニナガワスタジオに、130名のなかから10名、オーディションに合格しました。
演目はロミオとジュリエットのロミオ役。

それから、蜷川氏が亡くなる2016年5月12日まで、28年間、蜷川幸雄氏と演劇を作り続けて来ました。作品はシェイクスピア「ニナガワマクベス」「リア王」「オセロー」「お気に召すまま」「夏の夜の夢」「コリオレイナス」「リチャード三世」「テンペスト」「シンベリン」「ヘンリー四世」など、ギリシャ悲劇は「女王メディア」
又、洋物は「ペールギュント」「キッチン」「三人姉妹」「桜園」 和物では、「近松心中物語」「にごり江」「心毒丸」「下谷万年町物語」「盲導犬」「ムサシ」「天保12年のシェイクスピア」「海辺のカフカ」「忠臣蔵」「七人みさき」「ああ荒野」などなど、他にも多数。
又、海外公演もイギリス8回、フランス2回、スイス、ベルギー、シンガポール3回、カナダ、エジプト、ヨルダン、アメリカ6回、上海(中国)、台湾、韓国2回、マレーシア、香港、ギリシャ、スイス。16か国20都市以上で、公園をして来ました。
来年、2020年は2月・3月で埼玉・大阪・九州で「ヘンリー8世」。6月・7月で、これもシェイクスピアで「ジョン王」、10月・11月で「近松心中物語」に出演します。

蜷川幸雄氏、我、師団がご健在の時は、本当によく怒鳴られました。くつやイスまで飛んできた時もありました。稽古の途中で、役ができなくて、替えられることもありました。怒鳴られて、怒鳴られて、本当によく怒られて。
「本当にありがとうございます」と心から感謝します。でもなかなか言わないですが優しい所もいっぱいあって、うなぎをごちそうしてくださったり、稽古中に全員に、おなかがすいているだろうと、牛丼をふるまってくださったり、また、スタッフには必ず、カップメンやサンドイッチをふるまわれていました。

「谷口真弥さん文」

以前から取材のお願いをしておりましたが、実現の運びとなりました。舞台以外でも、映画「アウトレイジ」やテレビドラマTBS「ビューティフル・ライフ」CMでは三井住友銀行やセブンイレブンなどにも起用され活躍されています。
これからも、個性的な演技で多くの観客を楽しませていただきたいです。塚本さんのお芝居に対する情熱を感じさせていただきました。

(執筆 塚本幸男)