谷村 綱一さん (有高8回)
保護司として28年目 藍綬褒章受章される
受章されたと聞き、早速にご自宅を訪問して、お話をうかがいました。
昭和28年4月1日に入学された時から、鮮明に覚えておられ、細かく話して頂きました。
農業科に入学され、1年7組で西川先生が担任でした。当時は普通科・家庭科・農業科を混成にしたクラス編成だったので、女生徒とは恥ずかしくてあまり話ができなかったそうです。他にも、往復6里の砂利道を買ってもらった12,000円の自転車で通学したこと、修学旅行で5合の米を持っていったこと、農場当番で市内に出てカーネーション販売したとき完売するのに苦労したこと、昼にパン屋が持ってくるパンを腹をすかした皆が買ってよく食べたこと、家が1.3ヘクタールの農業をしていたので、学校が終わればすぐ飛んで帰ってよく手伝ったことなど、懐かしそうに次々と話していただきました。
卒業後は、父と共に1.3ヘクタールの田圃で米穀の耕作を、1アールの畑で野菜作りをされました。その後、昭和45年にタイコーに就職され、12年勤められた後、藤和フーズに8年、更にジエムゴルフ場で10年勤められ、63歳で退職されました。
その間、56年に44歳で保護司になられ、「保護司の仕事は、医学に例えれば治療よりも予防」をモットーに活動されてきました。これまで約20人の方々に関わってこられ、更生した人たちが元気にやっている姿を見かけられた時はホッとされるそうです。
地域においても信頼が厚く、若くから農会長、地区会長、自治会長、老人会長等を歴任されてきました。保護司としても理事を16年、監事を4年と重責を担ってこられました。
昭和37年11月29日に結婚、一男二女に恵まれました。今はお子さんたちも皆結婚され、6人のお孫さん(全員女の子)がおられ、初孫は今年成人式を迎えられたそうです。若い者が仕事の関係で外に住んでいるので、94歳のお母さんと奥さんの3人家族で過ごされているそうです。
保護司として後3年任期があるので、「地域の方々が安心して暮らせる環境を作っていきたい」と笑顔で話されました。
(文責:谷郷賢明)
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