person

私にとっては1年生の時の担任、稲葉先生は生物の授業で、伴野忠生さん(13回卒)はテニス部の顧問とそれぞれにお世話になりましたが、それこそ何十年とお会いしておらず、胸を躍らせつつ3人でご自宅の方に訪問しました。

近くまで行きましたが、家が分からず近くの方に聞いてやっとたどり着くと、3階建ての近代的な豪邸。玄関の呼び鈴を押すと、頭髪は白くなられていましたが、昔の面影そのままのお元気な姿で出てこられ、感激の対面となりました。2年前に新築されたという、木の匂いがプーンとする部屋に案内して頂き、お話を伺いました。

本校に来られて担任をされ、若い頃に柔道をやっておられたことから、時々道場に行き生徒と柔道をされたりしていましたが、当時の先生方はテニスに熱心で、先生もその影響を受けテニスを始められました。先生方が、放課後になればコートに出てボールを打っておられた姿を思い出します。

また、男子テニス部の顧問となり、三田学園・柏原高校が強かったため創部以来優勝経験がなかった丹有地区大会で、いきなり優勝。その立役者となったのが一緒に取材に行った伴野さんですが、帰りに先生におごっていただいたうどんの味は今でも忘れられないそうです。

尼崎高校に転勤、やはりここでも男子テニス部の顧問をされ、四国国体で優勝されたそうです。

その後、新設学校建設に向かっていた県立武庫荘高校(現・県立武庫荘総合高校)に転勤。学校立ち上げに奮闘され、プレハブ校舎での授業も経験されました。また、柔道部の顧問として、道場もなかったため、古い畳を都合して、毎日放課後になるとグラウンドに敷き、終わるとプレハブにしまうという練習で、1年後には全員が黒帯となり、さらには阪神地区代表として県大会にも出場されました。3年間の在職中に進学校としてトップとなり、顧問された柔道部は大きな大会でも堂々と戦えるチームになり、一番充実した期間だったそうです。その後川西高校定時制、武庫高校(校長)を最後に退職されました。

退職後は、奥さんがまだ現職として幼稚園園長を務め、ご長女も教師をされておりそれぞれ多忙なため、それでは私が初孫の面倒をみようと世話をされてきました。おしめの取替えもされたそうです。そのお孫さん(男の子)も今は大学生、年が開いて2人目のお孫さん(女の子)は幼稚園。目に入れても痛くないそうです。

80歳を過ぎられた今、病気知らず・医者知らず、元気そのもので、朝4時に起き食事の準備をして2匹の愛犬の散歩、時間があれば本を読まれているそうです。

house

 

ご自宅の前にて

 

 

 

 

 

slidingdoor

 

 

素晴らしい襖絵も

 

 

 

 

(文責:谷郷 賢明)