5月、神戸市内から遠路、事務局へこられ、お話を伺いました。
―第10回ミセス日本グランプリ(2017年)でグランプリ受賞、この紹介から
「ミセス日本」は、「健康的で知性と優美さを兼ねそなえて芸術・文化にも通じて活動的なライフ・スタイルをお持ちのミセス」「単なる美しさやパフォーマンスの競演だけではなく、日々の生活から体験した知恵や知識の表現と、社会貢献の意識も選考対象とし」、「30歳代・40歳代・50歳代・60歳代の年代別にミセス日本を」選出します。本庄さんは、60歳代でグランプリを受賞されました。“ミス○○”などと違って、受賞後は「社会貢献を目的としたボランティア活動に参加」することになります。
ヨガを指導してきた生徒さんや、前に優勝した人からも勧められ、出場のきっかけができたそうです。まず、なぜ応募したのかを記した書類と(全身)写真をもとに、第1次選考が行われます。書類には、阪神淡路大震災(1995年)のとき、阪神高速道路が倒壊した北側あたりに居て、神戸市の社会復興事業の健康講座の講師として灘区を回ったこと、東日本大震災(2011年)では、芦屋でチャリティーレッスンを行い、レッスン料を寄附したことなどを思い出しながら書いたそうです。
書類・写真選考に通過して、昨年7月、観客の前でセミファイナル。ワンピースで審査員や観客がみている前を歩いて、応募理由を喋る。ファイナルには、各年代5~6人が選ばれ、ファイナリストには本番に向けてウォーキングや所作などの講習がある。高いヒールを履いてロングドレスで歩くのは難しいそうで、昔、体育教員で身についた動きがついつい出てしまったと笑っておられました。10月27日 、本選大会(神戸)でグランプリを受賞、今年は第11回大会の審査員を務められます。「人はちょっとしたきっかけで、気持ちひとつで大きく変われる」とは、受賞経験からくる本庄さんのことば。
受賞後は、チャリティーを企画したり、ボランティア活動もされている。先日は、ファイナリストなどが集まって、大阪城公園の美化活動。また、大阪心斎橋のタカラベルモント株式会社が、5月6日をアクティブシニアの日と制定、この日に同社が「歳を重ねてもおしゃれに溌剌と!」をコンセプトにファッションショーなどを企画。福岡で車椅子利用者の服などをデザインしたりしている鈴木綾さんが、鯉のぼりの生地をアレンジしたドレスを制作。それを着用して、60歳以上が登場するイベントにモデルの一人として参加。なんでも話があればやってみようと前向きな本庄さんです。なお、日本大百科全書には、アクティブシニアを「自分なりの価値観をもち、定年退職後にも、趣味やさまざまな活動に意欲的な、元気なシニア層」と表現しています。
―高校・大学時代について
高校は2,3年と7組、担任は英語科の小林正樹先生の持ち上がり。当時、商業に重点をおいたクラス、進学に重点をおいたクラスがあったが、7組はその中間、しかし、数Ⅲまで勉強。クラス全体(男12人、女32人)も、男女の仲もよかった。スポーツが得意で、運動会は楽しかったそうです。スウェーデンリレーに出場、陸上部の子がつないで7組が1位。2・3年と。応援合戦も大層盛り上がり、仮装もおもしろかった。当時は担任を仮装していた。クロスカントリー(三田を出て吉川町から神戸市北部の丘陵地、農道を走って三田にもどる長距離走)では、10番以内に入っていた。八景中で陸上部、高校ではバスケットボール部、体育の泉喜代和先生が顧問。キャップテンを務め、湊川女子高校(現三田松聖高校)などとたびたび試合をしたが、我が部はあまり強くなかったとおっしゃっていました。
武庫川女子大学(文学部教育学科体育専攻)に進学、体育専攻は45人で4年間、だから仲がよい。三田を離れて寮に入り、あとは下宿生活、運動づけの4年間だったそうです。45人の同級生の多くは、インターハイ(全国高等学校総合体育大会)出場など運動の強い高校の出身、その人たちからすれば有馬高校はどこの学校って感じだった。インターハイや国体に出場している子が多いなかで、大学でもキャップテン。全日本大学選手権にも出場、東西対抗の選抜選手、優秀選手にも選ばれ、敢闘賞ももらった。大学では大きなケガや手術もしたが、すぐに出場していた。大学入学に際して、教授から「君の才能を磨きたい」と声をかけられた。だから頑張れた。これも出会いのおかげと。
―大学卒業後から現在まで
大学卒業後、大阪の市岡商業高校(2014年閉校)で、保健体育の教員。ついで宝塚市立高司中学校に赴任、保健体育を教え、担任も。男子バスケットボール部の顧問となり、指導4年目で同市内優勝まで導かれた。
この後、人生の選択。ご主人の関係から東京に移ることを決意。ヨガがいまのようにブームではない時代、会員制ヨガの広告をみて、おもしろそうと体験。ヨガに出会って、競技とボディケアとは全く違うことに気づいたといわれます。ヨガのインストラクター、数々の療法士や講師の資格を取得、0歳(胎内にいるとき)から90歳台までの人びとを指導してこられた。阪神淡路大震災の前に阪神間に戻られ、やがて株式会社ライフクリエイターを立ち上げ、その代表としていろいろな事業を展開、芦屋・西宮・東京でヨガ教室、自らも講師として指導。関西学院高等部の選択科目「ヨガ」を週2コマ担当、同校三年生から好評のようだ。また、ここ6~7年、知的障がい者の作業所に通って、発声体操、身体を動かしていると活性化してくる。起きる変化に感動をもらっている。
「セルフケア(自助努力)で、より元気に美しく」と、現在、商標登録した「美Miracle Method」のもと、自ら考案したメソッドを展開中。いただいた名刺の一枚には、「一般社団法人育menコンサルタント協会 育メンコンサルタント」とある。好奇心旺盛、思ったら行動する人だ。「会うだけで元気になる」「歳がいくのがこわくない」といわれるそうだが、すごいバイタリティだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(執筆 上垣正明)