元教頭の楠井先生から知らせて頂き、念願の取材となりました。
担任は豊浦先生で生徒の個性を尊重し、それを優しく見守って下さる先生だったそうです。洋裁や、和裁を教えていただいた、植田先生には作品を提出しては何度も戻され、とても厳しい指導を受けたが、そこには生徒を思う愛情があったので、クラスの誰一人と先生を嫌がる生徒はおらず、植田先生から💮(はなまる)がもらえるよう、みんな必死に努力されたそうです。「卒業後、大学に進学、そこで新たに気づいたのが、有馬高校家政科の教育力の高さです。厳しく教えてもらったおかげで技術が身に付き、大学の授業で大いに活かすことが出来ました。」例えば和裁の授業で必要な技術である運針は、既に習得しており、高校生の時に浴衣や着物は制作済みだったため、授業の履修はしませんでした。しかし、教授から履修しなくてもいいから浴衣をつくりなさいと生地を一反頂き仕上げるといった特別対応をしていただきました。

大学受験の時には、松井先生に小論文の指導でお世話になったことを覚えています。
卒業の時のメッセージは「あなたに独立独歩の芯の強さがある」と書いて下さったのが記憶としてあるそうです。
クラブでバレーボールのマネージャーとして活動され、周囲の状況を察知して先に先に動くことの大切さを学び、その経験が社会人になっても活かされているそうです。
年間行事で盛り上がる体育祭学生生活の楽しみの一つ、応援合戦やバックボードの制作等、準備するのが楽しくて高校生活を満喫した時間だったとお聞きしました。
修学旅行は黒姫スキー合宿でした。その時のスキーがきっかけに、いまもスキーを楽しんでおられます。卒業後もシーズンになるとスキー旅行を楽しんでおられます。指導いただいたインストラクターがかっこよくクラスの皆でキャアキャアと喜んでいた事、いい思い出と語っておられました。

有馬高校を卒業後には大手前女子短期へ進学、短大ではバレーボール部を立上げて、今度はマネージャーではなくプレイヤーとして活動。それだけではなく、バドミントン部にも所属し高校時代に出来なかっ事に挑戦、また、傍らではアルバイトに勤しむなど、学生生活を満喫されたそうです。

卒業後は、職員として体育研究室に在籍し、今までとは異なる「体育}分野で活躍をすることになったそうです。その時に活かされたのが、豊浦先生に教えていただいた栄養・食物の授業で学んだ知識で、体育研究室で助手として勤めながら、市のスポーツ施設でインストラクターとして運動指導にも携わり、さらに「健康運動指導士」の資格を取得(受験勉強よりも必死に勉強されたそうです)、栄養の知識がなければ合格していなかったと、話されます。さらに高校で学んだ事はその後の人生でも大いに役立ち、学ぶ意味を改めて実感することが出来たそうです。

また、高校時代のマネージャー経験が大いに活かされることとなったそうです。さらにダンスにも没頭、舞台発表の衣装作りでは、家政科で身に着けた技術を発揮。家政学と体育という全く異なる学問分野に進む事になったが、全ての学びはどこかで役立つことを実感したと語られていました。

その後人事異動で学生課に配属となり学生指導に従事、経験値だけでは対応の限界を感じ武庫川女子大学大学院(臨床教育心理専攻)で2年間学び福祉と心理学と教育を勉強、働きながら夜間に通学するのはかなりハードスケジュールだったそうですが、修士を取得されました。

現在、大手前大学アドミッションズオフィス課長、主に学生募集に関わる業務、・学園広報業務にたずさわっておられます。